限界エンジニアの冒険録

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プレミアムフライデーには意味が無いと思う理由

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どうも。

 

2月24日は、記念すべきプレミアムフライデー1日目でしたね。

皆さんはどのようにお過ごしになったでしょうか?

 

意気揚々と打ち出されたプレミアムフライデーの政策ですが、結局、全国的に浸透していなかったようですね。僕もプレミアムフライデーの存在は知りつつも、いつもと変わらない1日を過ごしました。

そこで本日は、プレミアムフライデーが現代の日本社会で浸透するのかを、個人的に考察してみようと思います。果たして、僕らはプレミアムな金曜日を過ごせるのでしょうか。

プレミアムフライデーとは

この記事に辿り着いている方であれば、プレミアムフライデーを今更説明する必要はないと思いますが、一応ざっくりとお伝えしておきます(;^_^A

 

プレミアムフライデーは、個人消費を促すために政府始動で行っている「毎月最終金曜日を午後3時退勤日にしよう」という取り組みです。

 

「国民がお金を使わないなぁ、仕事しすぎて使う暇が無いのかなぁ・・・」

「そうか!!ならば退勤を早くしてもらえば半日遊んでもらえるぞ!」

という単純明快な考えで始まりました。詰まるところ華金強化制度ですね。

 

小学生でも理解できる非常にシンプルな仕組みの政策なので、政治家の皆さんは「国民全体で取り組める素晴らしい取り組みだ!」と考えたのではないでしょうか。

 

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僕が「プレミアムフライデーには意味が無い」と思う理由

制度の強制力が無ければ、仕事の強制力が勝ってしまう

プレミアムフライデーに限らず、現代社会において早帰りがし辛い理由に、以下のような「何らかの強制力」が働いていることが挙げられます。

「今日までにこの仕事を終わらせないといけない」

「顧客から連絡があるかもしれないのに定時内に早帰りしてはいけない」

「契約社員だから正社員を置いて定時内に早帰りしてはいけない」

そもそも、これらの「強制力」は、仕事における「当然のこと」と捉える人の方が圧倒的に多いはずです。そのため、プレミアムフライデーの制度に強制力が無い限り、仕事における何らかの強制力が勝ってしまい、早帰りできる余地なんて生まれません。

 

特に思ったのは、日本人にとっての「定時」という概念の重みです。

裁量の与えられていない社員には「定時時間分の労働を提供する義務」があり、大半の日本人がこの労働契約の上で働いていると思います。また、日本でフレックス勤務を導入している企業は全体の5%強しか存在しません。つまり、早帰りできる「時間的な裁量」を与えられている労働者は非常に少ないわけです。

普段から時間的な裁量を与えられておらず、「定時」を理由に仕事から解放される社員が圧倒的多数な日本において、プレミアムフライデーで早帰りすることが非常にハードルの高い選択肢であることが分かるでしょう。

 

「長時間労働」と「多様性の無理解」を解決するのが先?

個人消費を促すために実施されたプレミアムフライデーですが、そもそも長時間勤務が前提となっている現代社会の労働者としては、「強制力の無い早帰り」ができるわけありません。

ましてや、現場は上述したような様々なしがらみに満ち溢れています。「早帰りの調整」は一世一代の交渉事になりますから、大人しく仕事していた方が全ての立場の人にとっても「楽」という結論になってしまうでしょう。

 

そもそも、上述したフレックス勤務を導入し、各労働者の働き方に合わせた「時間的な裁量」を与えていれば、基本的に毎日がプレミアムフライデーになります。

そんな「時間的な裁量および自由」を各労働者が得た上で、一斉退社を促すプレミアムフライデーを実施すれば、また違う効果が期待できたんじゃないかなぁ、と考えてしまいます。なので、個人的には「長時間労働の緩和」「労働時間・形態の多様性の容認」を大々的に進めなければ、今後もプレミアムフライデーが浸透することは無いのかな、と思ってしまいますね(;^_^A

 

まとめ

まぁ、色々と書きましたが、自分としてはプレミアムフライデーに何の効果も無いと思ってしまうわけです。むしろ今までに無い「不確定要素」として、気にすることが増えたと言う意味では、面倒事とすら感じてしまいます。手段と目的が真逆になっている気がしてなりませんね(;^_^A

 

何らかの強制力を持たせたり、根本にある労働問題を解決しなければ、形骸化した制度になる可能性の方が高いかと思います。現状を踏まえて、今後、プレミアムフライデーに合わせた画期的な取り組みがあることを期待しています。

 

では、また。